沿革

昭和21年にヒット曲「お山の杉の子」
から名をとって開設

オーナー近影


「杉の子こども会」は、安西愛子が昭和21年に、
敗戦で荒廃した世の中にせめて次代を担う子供たちには、
明るい歌と情操を身につけさせたいという願いを込めて
自演のNHKラジオ歌謡ヒット曲「お山の杉の子」から
名をとって開設いたしました。
昭和24年からはNHKラジオ番組「歌のおばさん」
出演が始まり、全国の子供たちに日本の童謡を紹介し、
子供たちの楽しみな番組の一つになりました。
15年続いたこの放送からは多くの作曲家、作詞家が
世に認められました。


児童を対象にした合唱から
個人の音楽要素を伸ばす教育へ♪

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一方、「杉の子こども会」も12歳までの幼児、児童を
対象に日本の文化遺産である童謡を伝え、普及させるべく
阿佐ヶ谷教室、次にはお茶の水教室を開き、後にはピアノ科
も新設されました。
当時は週に通常レッスン1回と合唱用特訓が2回あり、
子供たちはほとんど週3回教室に通い、映画、ラジオ、
レコードなど多忙に活躍しました。合唱を美しく響かせる
ためには統一した発声が求められるため、かなり時間を
かけた特訓が必要でした。
しかし、昭和40年代に入りますと、子供たちは定期に
週3回レッスンを学校の勉強と平行して受けることが
いかにも困難になってきました。やはり学校を休んでまで
ラジオ、テレビ、映画の出演や録音取りには無理もあり、
好ましくないとの判断から次第に合唱から個人の要素を
伸ばす教育へと移行させるようにしました。


安西愛子が参議院議員になって以後は、
年齢に関係なく幅広く音楽を指導♪

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昭和46年、会長安西愛子が参議院議員に選出されてから
は、後任に次男安西重貴が当たり、従来3歳~12歳まで
だった指導期間を更に伸ばし、音楽の勉強を希望する
子供たちのために「安西音楽研究所」を新設、教科も
増えました。
以来、年齢に関係なく小学生までは「杉の子こども会」の
会員、中学生からは「安西音楽研究所」生として専門家を
目指す事も可能な指導態勢としました。
平成29年3月、(有)安西音楽研究所・杉の子こども会は
70年の歴史を閉じました。
平成29年4月、(有)安西音楽研究所・杉の子こども会の
阿佐ヶ谷教室の場所にて、安西重貴の長女大森貴子が代表
として「あさがやすぎのこ音楽教室」を開設しました。